あれから5年後。お元気ですか?先生は今ウガンダにいます

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隣人が飼ってる子猫

みっきぃ(@miki73_m)です。隣人が飼ってる子猫がめっちゃ可愛い!猫はまったく関係ありませんが、震災から5年が経ちました。当時の高校3年生も大学卒業です。当時私は大熊町にある高校で講師をしていました。今回は少し懐かしくなって書いてます。

5年前は大熊町にある高校で講師をしていた

私は福島県会津若松市出身です。震災があった年は社会人1年目で、原発のある大熊町の高校で働いていました。

この高校は原発事故の影響で立ち入り禁止になり、福島県内4つの高校内にサテライト校という形で別れ、授業を行っていました。

私はその中で地元会津サテライト校の講師として働き始めました。私達の高校の職員室は生徒会室に長机とパイプ椅子を並べたもので、ロッカーもパソコンを無い状態からのスタートでした。

生徒は1年生から3年生合わせて約70人。生徒は避難先の旅館や仮設住宅、借上げ住宅からバスで通っていました。転校する生徒も多く、夏休み前まで毎週のようにいました。1年生は転校する可能性もあるため、制服を注文して着始めたのは9月くらいからでした。

先生も大熊町や富岡町に家がある(あった)人が多く、職員室内も賠償金の話しなど毎日のようにあり、重苦しい空気でした。

一時帰宅のため学校を休み、帰っても放射線量が高過ぎて何も持ち帰れなかったという生徒もいました。

福島県相双地区の高校が集まって「相双連合」として高校野球に参加し、全国放送でも流れました。4つのサテライト校に別れた全生徒が応援するために集まり、震災以来の再開に喜ぶ姿は今でも覚えています。

想像することから支援が始まる

初め何も無かった職員室も徐々に物が集まり、職員室らしくなって行きました。文房具もたくさん支援していただき、勉強できる環境は整いました。

夏休み間近、学校が始まって3ヵ月になると、物は十分揃っています。生徒も先生もモノは「揃える」から「選ぶ」段階に移ります。

この時期に送られて来たもので、卒業生から集めたであろう高校のネーム入りジャージやマラソン大会で余ったであろう大量のクリアファイルやUSBメモリなどがありました。

誰だか分からない人の着古したジャージを着たいという生徒は少なく、生徒と先生より明らかに多いUSBメモリは処分にも困りました。

正直、「余ったから」、「使わないから」、「こんなものでもあれば喜ぶだろう」などといった安易な考えで送ってきたのではないか?と思ってしまいました。送ってくれる気持ちは嬉しいのですが、もっと現地の人の生活や現状を想像して送って欲しかったです。

これは途上国への支援にも言えることで、病院では支援してもらった医療機器が、使い方が分からず放置されていたり、故障したパーツがウガンダで売ってないといったことがあると聞きました。

実際に現地に足を運んで、自分の目で見て考えるのが大切だと思います。足を運へない場合は相手の立場になって徹底的に考える、現地の人になりきる。ことですね。

私も日本で聞いたりネットで見たことより、ウガンダに来てわかったことがたくさんありました。ぜひ実際に足を運んでもらいたいです。

あの1年が今の自分に繋がっている

サテライト校という形は1年で終わり、いわきの大学を拠点に再出発することになりました。そのため私のこの高校での講師も1年限りで終わりました。

大学を卒業して学生気分が抜けない新米の若造で、社会人としても先生としても多大なご迷惑をおかけしていたと思います。本当申し訳ありませんでした。

この1年は私にとってたくさん考える期間でした。

「支援ってなんだろう?」、「原発ってなんだろう?」、「福島県出身者としての意義は?」、「自分にできることって何?」、「働くって何?」

いろいろ考えました。私が青年海外協力隊に応募したのも、今ウガンダで活動できているのもあの1年があったからだと思います。今に繋がっています。ありがとうございます。

あとがき

profile

ニュースが伝える「真実」はモノゴトを見る1つの視点に過ぎません。

自分の目で見て考えて、自分の答えを出したい。ウガンダにいる残り4ヵ月たくさん考えたいと思います。

以上、みっきぃ(@miki73_m)でした。

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